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選手ではなく戦士 打者は球をよけてはならぬ! 戦争中の幻の甲子園



毎年様々なドラマが生まれる夏の風物詩「全国高等学校野球選手権大会」は100回を超えた。

その歴史は長く、なんと1915年(大正4年)からである。

しかし、1941年から1945年までの5年間、甲子園は開催されなかった。
なんとなくお気づきだろうが、理由は

「戦争」

今回はその辺りの甲子園に注目してみよう。

まず、中止一年目の1941年。

第27回大会の開催を朝日新聞が8月13日に発表した。

全国で予選が始まり各地で熱戦が繰り広げられていた。
当時は「朝鮮」「台湾」「満州」など日本の統治下にある国々からも参戦していた時代である。

当時の日本統治の状況

台湾の予選では「台北工が40イニングの末の勝利」という今では考えられない記録もできた。

だが、突然の大会中止

球児たちの心境を考えると無念でならない。

中止を通達したのは、

「文部省」

中止の理由は今でもはっきりと公表されていない。

様々な文献から推測すると、

満州国で軍が大規模な演習を行うため、交通網は兵員や物資の輸送が最優先となった。
それを踏まえ、2府県以上の移動を伴う試合を文部省は禁止した。

つまり「全国大会」は不可能となった。

しかも、この通知の理由は誰にも知らせてはいけなかった。

朝日新聞側も幾度となく交渉したが結果は覆らず、「予選だけの甲子園」となったのである。

その年の12月いわゆる「真珠湾攻撃」を発端とする大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発した。

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