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前代未聞!義理場での掟破り!!四ツ木斎場事件



平成13年8月15日その日は山口組をはじめとする関東、関西を問わず大小様々な団体が住吉会系の幹部の通夜に参列していた。

この時点では後に起こる事件を予想できた人間は一人もいなかっただろう。

その衝撃的な事件の現場となったのは東京都葛飾区の「四ツ木斎場」
大きな義理ごとの際はよく使用されるその筋の人間にはよく知られた会場だ。

事件当日、参列者に紛れ込んだ稲川会系の吉川と村上は住吉会のネクタイや代紋を用意するなど、あたかも住吉会系組員になりすまし「向後睦会会長・熊川邦男」を狙い、会長や組幹部に向け、

拳銃を乱射。

現場は一気に戦場となり混乱の渦となった。
なにせ日頃から戦場で生きている人種とはいえ
ヤクザの世界でいういわゆる「義理場」での襲撃は前代未聞の掟破りといえた。

この銃撃により
住吉一家・滝野川七代目総長、遠藤甲司が即死。
向後四代目・向後睦会会長、熊川邦男は右のわき腹に重傷、明朝死亡。
向後睦会・松井組幹部、西村俊英が右足に軽傷。

銃を乱射した稲川会系の吉川と村上はその場で取り押さえられ、住吉会系 向後睦会組員によって事務所に軟禁された。

この時なぜ住吉会側の人間は銃撃犯の二人をその場で殺さなかったのか??

現場にいた人間によると
撃たれた向後睦会会長、熊川邦男が苦悶の表情で「あいつらを殺すな」と話したという。
かくして吉川と村上は軟禁されることになったのだが、警察の向後睦会への説得により身柄を引き渡された。

「義理場での襲撃」という筋の通らない事件を起こした稲川会側に大義はなく、今後の動きが注目された。

当然だが稲川会が稲川会としてこのような事件を計画するわけもなく、一部の人間の犯行であり、通夜当日は稲川会の人間も参列していたし、稲川会側の人間でさえ襲撃犯に気付かなかったのだから、よほど用意周到に準備をしていたのだろう。

その後 稲川会は、今回の襲撃を計画した大前田一家の「家名抹消」などを伝え手打ちを懇願。これにより両組織は一応手打ちとなったとなったのだが、、、

住吉会でもっとも武闘派として知られる「幸平一家」は黙っている気はなかったのである。

事件発生から約半年後の平成14年2月には前橋市の大前田一家総長宅近くの 民家に銃弾が撃ち込まれる発砲事件が発生。
さらに翌3月には大前田一家総長宅に数人組の男が火炎瓶を投げ込み、ガソリン噴射器でガソリンのような液体を噴射。総長の関係者に発見され男たちは放火できずに逃走。
同10月にはゴルフ場から帰る途中の大前田一家本部長、後藤邦雄元後藤組組長が数人組の男に発砲され重傷。

そして

平成15年 1月25日 まだまだ真冬で冷え込む夜12時近く、

前橋市のスナックで、幸平一家矢野睦会の幹部2人が店内などで拳銃を発砲し、一般人3人を含む4人を殺害。

この襲撃により稲川会 大前田一家本部長、後藤邦雄 元後藤組組長ら2人に重傷を負わせた。

約一年後の平成16年2月に首謀者として幸平一家 矢野睦会会長の矢野治と組員一人、もう1人の実行犯の山田も同年5月に逮捕された。

この3人は1、2審ともに死刑判決。

また巻き込まれて死亡した一般人の遺族が、住吉会側に約2億円の損害賠償を求めた訴訟で、住吉会側は、使用者責任を認めて「深く遺憾の意を表する」と謝罪したうえで、再発防止を約束、遺族に9750万円を支払うことで和解が成立した。

この一連の事件で東日本の雄 住吉会で最も武闘派と言われる「幸平一家」の名前はさらに全国に知れ渡ることになる。

銃撃犯であり警察に身柄を引き取られた二人のその後はといえば

熊本刑務所に送還され服役中の吉川は 幸平一家・加藤連合組員により、キリで十数カ所を刺され重傷。
村上は徳島刑務所で度重なるリンチを受け、後に自殺。

これがヤクザ世界で今なお語り継がれる「四ツ木斎場事件」である

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