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人をバラして煮込んでミキサーに 北九州一家監禁殺人事件



松永太死刑囚は1961年、畳や布団を売る行商を営む家で生まれ、何不自由なく育てられた。

大学を中退し、家業を継いで会社を設立。粗悪品の布団を高額で売ったり、脅迫のような手口で売るなどして稼いでいた。

一方、緒方純子受刑者は1961年に農家の家に生まれ、後継ぎとして大事に育てられていた。短大を卒業して幼稚園の教員に。性格は優しく真面目でしっかりとしたごく普通の性格だったという。しかし、1982年、緒方受刑者が18歳のころに松永死刑囚からかかってきた電話で人生の全てが変わってしまった。

松永死刑囚は高校の卒業アルバムを見て緒方受刑者に会いたいと電話をかけてきた。当時妻がいながら、「君の写真が目に留まって、思わず電話してしまったんです」と語ったという。

その後、数年に渡って何度か会う中で、2人は男女の関係になった。

緒方受刑者は裁判で「恋愛に溺れてはいけないと自制はしていました。不倫関係ですし、私はいずれは養子を迎えて、家を継がないといけないことも自覚していました。でも、親が養子縁組した相手と結婚するまでに、一度くらいは恋愛経験をしてみたいという思いもありました。松永に対する恋愛感情が段々大きくなっていって、自制心が薄らいでいきました」と語っている。

緒方受刑者の両親は、不倫関係だった2人の交際を当初認めなかったが、松永死刑囚の得意の話術などで次第に好印象を抱くようになっていく。

松永死刑囚はわざわざ婚約確認書を作成し、両親に渡したりしている。しかし、その直後から2人の関係に変化が起こりだした。

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緒方純子受刑者

松永死刑囚は「お前のせいで妻に交際がばれた。お前のせいで結婚できなくなった。お前のせいで俺の人生は滅茶苦茶になった」などと事あるごとに、負い目を感じさせるような暴言を吐き、殴ったり蹴ったり、髪を掴んで振り回すなどの暴力を振るうようになる。

緒方受刑者は、松永死刑囚に言われるがまま、親戚や友人に嫌がらせの電話などをかけ、関係を断たせられる。「なんとかして信用してもらいたい。自分が信用されないのは自分が悪いからだ」と裁判で言っていたように、松永死刑囚のマインドコントロールの下に置かれていくようになる。

松永死刑囚はそれをいいことに、「自分に愛情があるのなら体に印をつけてもいいだろう」とタバコの火で緒方受刑者の胸に“太”と自分の名前を書き、太ももにも同じ刺青を入れるなど、卑劣な行為を続けた。

松永死刑囚の暴言と暴力は、会社の従業員達に対しても行われた。のちに事件でも頻繁使われることになる、家庭用コンセントに繋いだコードの先を裸にして、ワニ口クリップを繋げた装置を体につけて電気を流す『通電』も始められた。しかし、暴力などに耐えられなかった従業員が1人消え、2人消え、さらには粗悪品の布団は売れなくなり、会社の経営は傾いていく。

すると松永死刑囚は、知り合いやその親戚から金をだまし取ったり、消費者金融などから繰り返し借りさせたりして、金を集めた。緒方受刑者も指示を受けて同様に金を騙し取り、とうとう2人は詐欺と脅迫容疑で指名手配されることとなった。

そんな折に緒方受刑者に子供が生まれた。当時の気持ちを法廷でこう話していた。
「子どもが生まれたことで自首をして身を潔白にしたいという気持ちより、松永死刑囚と一緒に時効まで逃げ続けようという気持ちの方が強くなりました」

2人は警察から逃げ、生活をするために元従業員から金をだまし取ったり、以前交際していた既婚女性を結婚詐欺にかけて離婚させた上で金をだまし取ったりした。

その後、その女性は死亡。2人は警察から事情聴取を受けることを恐れ、逃亡した。

しかし、逃亡を続ける中、7人が殺害される事件が起きていく。

金に困った2人が目をつけたのは、逃亡中にマンションを仲介してくれた男性だった。

松永死刑囚は偽名を使って一流メーカーで働く優秀なエンジニアを演じ、投資話を持ちかけた。それに男性は取り込まれた。

松永死刑囚は、男性の妻に対する不満などを聞いては煽り、別居させ、過去に犯した悪事などを書面にするなどして弱みを握った。男性は当時8歳の娘を連れ、彼らと共同生活をはじめるようになる。この娘は17歳になり逃走するまで、9年間を2人と過ごすこととなる。

しかし、同居が始まると、松永死刑囚と緒方受刑者は、男性の行動に難癖をつけては“通電”などの暴力を始めた。体をペンチでつねる、殴る、剣道のそんきょの姿勢や長時間の起立。食事はラードを乗せた白米のみで、浴室に閉じ込め、真冬に冷水のシャワー、睡眠時間の制限などありとあらゆる虐待を加えた。

そしてその虐待は当時8歳だった男性の娘にも行われた。

男性と娘は虐待に次ぐ虐待で、松永死刑囚のマインドコントロール下に置かれ、口止め料・慰謝料・娘の養育費などと様々な名目で、多額の金を要求されるようになる。男性は消費者金融や親、知人などから借金して金を渡し、その総額は少なくとも1083万円にのぼった。

虐待を続けられた男性は次第に衰弱し、共同生活をはじめて1年4か月後、1996年に死亡した。享年34歳だった。

松永死刑囚は緒方受刑者に、遺体をバラバラに解体させ、刻んで捨てさせた。

この行為について松永死刑囚は「私は解体の構成に関わり、プロデュースしました。設計士がビルを建てるのと同じですよ。私の解体方法はオリジナルです。魚料理の本を読み、応用し、佃煮をつくる要領でやりました」と語っている。

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事件があった部屋

家族をマインドコントロールし、殺害させあう

男性を殺害する前、松永死刑囚は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ、男性と同様に監禁し、金を奪って虐待をしていた。男性が殺害され、知人の妻が逃走した後は、緒方受刑者の母親からの送金で暮らしていた。

しかし、その送金が1500万円を超える頃、母親の蓄えが底をつき、送金がなくなった。

松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求したところ、緒方受刑者は内緒で湯布院で働きに出た。それに対して松永死刑囚が逃げたと思い込んで激昂し、緒方受刑者の家族が巻き込まれることとなる。

松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、緒方受刑者を呼び戻した。さらに家族に対して「緒方受刑者が男性を殺害して死体を解体し、さらに女性を海に突き落として殺害した」など事実を誇張して伝え、家族から“緒方受刑者を時効成立まで逃走させる知恵料”などの名目で結果的に4000万円以上もの金をだまし取った。

両親と妹が、まず頻繁に松永死刑囚からマンションに呼び出され金策などを話し合わされるようになった。さらに、元警察官だった妹の夫まで松永に取り込まれ、妹夫妻の娘と息子も含めた同居生活が始まってしまう。

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松永太死刑囚

松永死刑囚は妹の夫にわざわざ不満を言わせ、暴力を振るわせた。家族に対しては、緒方受刑者の犯行に加担したとの負い目を感じさせるために、男性を殺害して処理した台所の配管などの取り替えをさせたりした。また、独自のルールを決め、家族全員をマインドコントロール下に置いていった。

そのルールとは、松永死刑囚が指示するときだけとれる1日1回の食事。水も松永死刑囚が許したときだけ、緒方受刑者が準備して飲むことができた。ご飯の内容は炊事がいらないという理由から、ほとんど食パンか菓子パン。そんきょの姿勢で食器を使わせず、7〜8分以内に食べられなかったら“通電”や殴る蹴るの制裁が加えられた。

排泄や睡眠も松永死刑囚が支配し、自由な行動や会話は許されず、一日中無言のまま足がむくむほど立たされたこともあったという。

もちろん知人や仕事先などとの連絡は一切断たせた。また、家族一人一人に「ランク付け」をして、その時々によってランク付けを変えることで、お互いに敵対心を生まれさせた。

逃げ場のない異様な環境で、松永死刑囚は独自のルールと暴行と暴言、そして“通電”などによって緒方受刑者一家を支配し、何かを考えさせる余地を与えなかった。

緒方受刑者は「父は『もうこうなったら松永さんにぶら下がって生きていくしかありません』と話していたことを覚えています」と裁判で語っている。

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緒方純子受刑者

そして松永死刑囚は、ついに緒方家の命を奪っていく。それも、自らの手は汚さずに。

日常的に暴行と“通電”が行なわれていたが、父親の些細な言葉に腹を立てた際、緒方受刑者に“通電”をさせると父親は前かがみに倒れ、そのまま息を引き取った。

緒方一家は松永死刑囚の指示で父親の遺体をバラバラに解体。これにより、一家にさらなる弱みを負わせた。

その後、日常的な虐待や“通電”、そして夫を亡くし自ら処理をしたショックで、母親が奇声を発するようになった。

松永死刑囚は緒方受刑者に母親を浴室に閉じ込めさせた上、「困るのはお前たちだろう」と妹夫婦に問いかけた。「よくなるかもしれないから、もう少し様子を見ましょう」などの提案には耳を貸さず、各々に役割分担を指示し、殺害させた。

そして、それまでと同様に、遺体は解体され、捨てられた。

今度は肉体的、精神的なストレスから妹の耳が聞こえにくくなり、松永死刑囚の指示によって夫の手で絞殺された。

その後、妹の夫が通電などの虐待によって死亡、甥と姪も殺害された。

罪を認めない松永死刑囚

緒方受刑者の家族が全員殺害されたのち、およそ4年たってから、1人目の被害者の娘がマンションから逃げ出したことで事件は発覚する。

2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部で行われた一審判決で死刑が2人に言い渡された。

緒方受刑者は罪を認めたが、松永死刑囚は法廷で「控訴だ」と叫んだという。

2007年9月26日に行われた二審で、緒方受刑者については「松永死刑囚の暴力に支配され犯行への関与も従属的だった」として一審の死刑判決を破棄し、異例の減刑となる無期懲役を言い渡された。

松永死刑囚は、2011年12月12日、最高裁での上告は棄却となり死刑が確定した。

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