
1978年(昭和53年)3月3日大阪
自宅近くで田畑作之介ちゃん(3歳)が自動車に撥ねられた。
作之介ちゃんは重態だったため、救急車を待っている余裕がなく、
轢いた本人が
「自分の車でこの子を病院に連れて行く」
と言い、作之介ちゃんを車に乗せ走っていった。
四日になっても作之介ちゃんが病院などで手当てを受けた形跡がないことから、誘拐容疑事件とみて、住吉署に合同捜査本部を置く一方、目撃者の証言から犯人は「中年の男」と断定。
モンタージュ写真づくりなど本格的な捜査を始めた。
Nシステムもなく、防犯カメラも未整備の時代。
車を特定することはできず・・・作之介ちゃん(当時3)が自宅付近から行方不明になっている「作之介ちゃん事件」は三日午前零時で、業務上過失致傷、略取誘拐罪など5年の時効が成立した。
大阪府警交通指導課の捜査本部では現在でも連日、捜査情報が寄せられていることから、捜査本部は専従捜査員15人のFBI方式で引き続き捜査を進める。